とうとう、待ちに待った(ゆめ)が実現する日がやってきました!!!
明治9年(1869)10月1日から3日までの3日間、智積村(ちしゃくむら)の椿岸神社(つばきぎしじんじゃ)の社殿落成を祝して、「奉納大相撲」が 西勝寺(さいしょうじ)の境内で開催されました!
夢にまで見た大相撲、下記錦絵の3名は今を時めく超有名力士達、その3名が勢揃いで来村したのですから、もうたまりません!
優れた技を目にし、その迫力に圧倒されて、村人の興奮はいかばかりだったでしょう。
きっと、ハイテンションで3日間を過ごした人が大勢いたのではないでしょうか。
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相撲錦絵 (蜂須賀國明筆)
中央:第14代横綱・境川浪右衛門
向かって左から、伊勢ノ海、四海波静太夫、境川浪右エ門、
勝ノ浦与一右エ門、式守伊之助
(四股名(しこな)等は絵に書かれた通り記しました)
(下記の「西勝寺古文書」と文字が少し異なります)
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西勝寺に残る古文書
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明治九年第十月一日二日三日
初日大入ニシテ大寄角力有
勧進元 武助
当右衛門
当院(西勝寺)境内ニテ挙行
其際角力宿泊所被頼候ニ付無據引受候事
止宿人員記
境川浪右衛門
四海波静太夫
勝浦与一右衛門
四方山七太郎
中津山 立吉
石ノ川仁三郎
勇山 勇吉
男山 梅五郎
緑山 由藏
登リ船 定吉
大松 岩吉
一ノ戸 大助
越川 彦太郎
小西川 然蔵
名張川 久治
大ノ川 勝蔵
若緑 万吉
大泉 三吉
金ヶ原 徳松
平世川 萬吉
若林 福松
稲勝 周三 |
下記の表は、上記止宿人員22名のうち、東京本所回向院境内に於ける明治9年4月場所幕内番附表より、その実績が分かる力士の履歴を下記したものです。
四股名 |
番附 |
出身地 |
その他 |
境川浪右衛門
さかいがわなみえもん
(1841〜87年) |
東大関 |
千葉県市川市 |
本名: |
宇田川政吉 |
生年月日: |
天保12年4月8日 |
所属: |
境川。先代境川浪右衛門の弟子 先代(4代)は現三重県長島町出身で、安政6年から慶応元年まで桑名藩のお抱え力士であった。 |
初土俵: |
安政4年11月 |
最終場所: |
明治14年1月 |
明治10年2月に「横綱」に推挙される。満34歳。 |
没年月日: |
明治20年9月16日(46歳) |
身長・体重: |
169cm・128kg |
優勝回数5回 |
四海波静太夫
しかいなみせいだゆう
(1836〜83年) |
東前頭2枚目 |
三重県員弁町大泉神田 |
本名: |
水谷清八 |
生年月日: |
天保7年3月1日 |
所属: |
境川。桑名藩お抱え力士 |
初土俵: |
安政6年11月 |
最終場所: |
明治12年6月 |
最高位: |
前頭2枚目 |
没年月日: |
明治16年11月1日(47歳) |
永く襲名者が途絶えていた年寄「鏡山」を襲名 |
勝浦与一右衛門
かつのうらいちえもん
(1841〜88年頃?) |
東前頭4枚目 |
千葉県山武郡 |
本名: |
吉井→川島力之助 |
生年月日: |
天保12年 |
所属: |
境川→勝ノ浦 |
初土俵: |
嘉永3年11月 |
最終場所: |
明治16年5月 前頭1枚目 |
最高位: |
前頭筆頭 |
没年月日: |
明治21年ごろ? |
身長・体重 |
162cm・105s |
「西勝寺の古文書止宿人員記」に郷土出身の力士名が無い!!
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明治9年のこの奉納大相撲当時、智積村出身の力士の「君ヶ嶽重五郎」と「勢イ力八」は、境川部屋に所属し、前者は二段目、後者は四段目であったにもかかわらず、西勝寺の「止宿人員記」に両人の名前が記録されていません。
今となっては知る由もありませんが、智積村出身の両人が境川浪右衛門一行と供に来村したであろうことは、当時の相撲業界の通例として当然の事と考えられます。
しかし、記録として残っていないのはなんともはや残念なことです。あるいは両人共に、実家で泊まったために記録に残らなかっただけでしょうか?
この疑問に答える「巡業番付」をご送付頂きました。が、その前に、「君ヶ嶽重五郎」と「勢イ力八」の両人の詳細履歴をみます。
(「巡業番付」は次次頁に掲載) |
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