目 次 | |
1.水の苦労 |
6.水質保全活動の開始 |
2.智積養水路の起源と用水路 |
7.活動の成果 |
3.文献からみた智積養水 |
8.現在の活動 |
4.智積養水から受けた恵みの数々 |
9.智積養水の将来 |
5.近代化の波 |
1.水の苦労 | ||
往古より、智積村(ちしゃくむら)では農業用水が不足して苦労しました。
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2.智積用水の起源と用水路 |
【起源】 『明治17年調伊勢国三重郡智積村地誌』に、「江戸時代の1711年(正徳元)、金渓川の川底の埋樋(うずめとい)「三十三間筒(さんじゅうさんげんどう)を伏せ替えた」と記されています。(この記述が、智積用水の最初の文書です) 従って、1711年に伏せ替える以前の智積用水の存在が明白です。 しかし、その起源は定かではなく、下記のように歴史的考察によると、智積用水は「中世」まで遡ると考えられています。
【智積用水路】 智積用水路の水源(蟹池)→二分八分→三分七分→三十三間筒→智積町→排水口
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3.文献からみた智積養水 | ||||
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4.智積養水から受けた恵みの数々 | |
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5.近代化の波 |
以上みてきたように、永年、智積町の住民は互いに深い絆で結ばれ、戦後も昔通り年間4回の水路の清掃は自治会が実施してきました。 しかし、戦後の経済成長に伴い、各家庭に上水道が普及して、次第に智積養水は「生活用水」としての実用性が薄れ、 更には、町の人口も徐々に増加し、人々の生活様式も大きく変化して、家庭用洗剤などが智積養水に流れ込み、また通行人によるゴミや空き缶のポイ捨ても増えるなど、いつしか町内を流れる智積養水に汚れが目立つようになりました。 |
6.水質保全活動の開始 | |||||||
智積養水の汚れに憂慮した智積町自治会は、もとのきれいな智積養水を取り戻そうと、水質保全活動に立ち上がりました。
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7.活動の成果 |
こうした智積町自治会の熱い思いとたゆまぬ努力の結果、昔のように「智積養水」に清流が戻り、やがて「名水百選」に認定され、またたく間に全国的に知られるようになりました。
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8.現在の活動 |
うるおいのある町並みづくりの更なる進展のため、地域住民力を合わせて、水質保全にたいへん気を配っています。 以下は、平成14年度までの智積養水清掃状況です。
諸般の事情により、平成15年度から年間清掃回数を減らしました。 すなわち、1年に3回4月、7月、9月に、智積町自治会が交替で「川ざらい」(大井堀り)をして、上記2.の毎月の「藻たぐり」を廃止しました。上記3.はそのまま継続しています。 つまり、水路清掃合計・・・年4回になりました。
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2001年11月16日 岐阜県各務原市鵜沼地区自治会の皆様が見学に来られました。 |
9.智積養水の将来 |
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参考史料:『四日市市史第五巻、第六巻、第八巻』、『明治十七年調伊勢国三重郡智積村地誌』、『名水百選智積養水』山田教雄著、『昭和水利事件ノ顛末』、『菰野町史上巻』 2001年11月29日掲載、2002年10月24日更新、2004年5月24日更新 (文責・永瀧洋子) |