これは、昭和時代の戦争(満州事変・日中戦争・太平洋戦争)を 生き抜いた四日市市桜地区の女性の戦争体験記です。 |
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三重県三重郡桜村国防婦人会役員一同 (現・三重県四日市市桜地区) (撮影:昭和17年12月、 於:石川病院屋敷内) |
たすき |
上記写真の前列右から三人目が、「桜村国防婦人会の会長」の石川まさを様です。 "女医"がたいへん珍しかった昭和初期、石川まさを様は「石川病院の女医さん」として、桜村の人々ばかりでなく近郷の人々にも有名で、殊に女性たちからは尊敬され慕われていました。 写真の女性たちは、桜村内の各々の字(あざ)から選ばれた役員です。 この写真は、昭和17年12月、石川病院で「桜村国防婦人会の役員会議」が開催された際に記念撮影したものです。 この写真の女性たちは、着物の上に全員白い割烹着(かっぽうぎ)を着て、「大日本國防婦人会(通称・国防婦人会)」の襷(たすき)を掛けています。これが国防婦人会の制服で、貧富の差無く、誰でもこの格好で公式の場に出ることができました。 また、この白い割烹着は、国防婦人会の奉仕精神・活動姿勢の表れでもあり、兵営や陸軍病院での洗濯奉仕、地域に於いては軍人遺族の慰問や様々な奉仕活動を行い、多岐にわたった「銃後の守り」をする女性の優しさと甲斐甲斐しさを象徴するものでした。 |
【目 次】 (全項目にリンクしています) |
はじめに |
1 桜村の女性の戦争体験記 |
2.アンケート回答者の内訳 |
3.戦前に所属していた女性団体名 |
4.女性団体に入った事情・入らなかった事情 |
5.敗戦までに実際に活動した内容 |
6.出征兵士を送った時の気持ちについて |
7.出征兵士の留守家族や戦士兵士の遺族への援助 |
8.銃後の護りとしての女性活動全般を振り返って |
9.戦時中の教育に関して |
おわりに |
はじめに 戦後53年経た1998年(平成10)の12月から1月にかけて、四日市市桜地区の女性の戦時体験の実態を把握するため、「アンケート」の調査を下記の手順で実施させていただきました。 【戦後53年、1998年(平成10)に実施したアンケートの調査方法】
聞き取り調査を実施 上記「アンケート調査」に先立つ1998年の秋、桜地区内の70歳前後〜90歳代の女性たち十数人に、直接御自宅へお伺いして、戦時中の苦労話や思い出話を、ゆっくり聞かせていただきました。 戦前は、桜地区の大半の家庭に電気も水道も無く、どの家の嫁も、早朝薄暗いうちに起きて、竈(かまど)に薪(たきぎ)を入れ、火吹きで火を点けることから、朝食の準備が始まりました。『それに比べると、今の嫁さんは楽なもんですな。』と、誰もが戦後53年の歳月に思いを寄せました。 ここに、桜地区の女性の戦争体験に関するアンケート調査結果と、聞き取り調査結果をまとめてご報告いたします。 |
1.桜村の女性の戦争体験記
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2.アンケート回答者の内訳 (昭和20年8月15日敗戦当日を基準とする)
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3.戦前に所属していた女性団体名 (複数回答方式による)
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4.女性団体に入った事情・入らなかった事情 (複数回答)
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5.敗戦までに実際に活動した内容 (複数回答) |
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6.出征兵士を見送ったときの気持ちについて (複数回答)
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7.出征兵士の留守家族や戦死兵士の遺族への援助 (複数回答) |
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この相互扶助は、国が兵士の向後の憂いを排除して安心して出征できるように、「銃後の務めとして出征兵士の家族を援護する」ように打ち出した政府指導の一つでした。
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8.銃後の護りとしての女性活動全般を振り返って(複数回答)
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ここでは、アンケート回答者が何らかの形で関わらざるを得なかった女性の活動の全般を、戦後53年経って振り返る質問です。
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9. 戦時中の教育に関して
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おわりに
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2001年9月 永瀧 洋子 記 |