桜郷土史研究会>活動報告
                       2009-04-23
                            作成  鈴木健一

 
 「桜郷土史研究会」の1月度例会で、会員より“北畠満雅”に縁のある地を訪ねて見たいとの意見があり、2月度の行事として「大河内城跡と丹生大師」を計画した。



  日  時 :
2009年3月13日(金)  天気 雨   Am. 8:30〜18:30   気温 9.1/3.9℃

  集合場所: 「桜地区市民センター」に8:30集合して、各車両の電話担当者を確認し車両間の連絡を依頼した。

  行  程 : 桜地区市民センター出発 8:40 ⇒ 東名阪自動車道四日市IC 8:47 ⇒ <関JC> ⇒ 9:30 伊勢自動車道嬉野PA 9:45  ⇒ 松阪IC 9:50 ⇒ 大河内地区市民センター着 10:00 “大河内城跡見学” 11:20 ⇒ 11:35 「まめや」<昼食> 12:40 ⇒ “立梅用水の“マンボ”と“メダカ池見学” 13:15 ⇒ <ふれあいの館買い物> 13:20 ⇒ “丹生大師の神宮寺と丹生神社を参拝” 14:10 ⇒ 14:15 “本楽寺参拝と回遊式庭園見学 15:15 ⇒ 15:45 松阪農業公園ベルファーム 17:00 ⇒ 松阪IC 17:05  ⇒ 鈴鹿IC 17:55  ⇒ 桜地区市民センター着 18:25 解散

  参加者 : 会長以下会員12名が参加し、3台の自家用車に分乗して雨の中、計画コースを略予定時間通りに見学。
(参加者全員は、社協の「ボランティア行事保険」に加入し、行事実行中に於ける万が一の事故発生に備えた)

 コース案内 : 2月度の例会に、“大河内城跡と丹生大師を訪ねて”の冊子を配布済み。




1. 雨の中での行動スナップ



(「大河内城跡」の説明板)


(傘をさして「本丸跡」を、一生吹山を思い浮かべ
ながら城の立地を見学)


(「智積養水」の約10倍の距離がある
灌漑用「立梅用水」の“マンボ”の出口)

(雨の中、「智積のメダカ」の故里である池と
水銀廃坑を見学)


(「大師堂」は50段の石段を登った上に
祀られている)


(「神宮寺」の“閻魔堂”を覗くと
桜町南公民館の閻魔像の約3倍と大きく、
又傍には奪衣婆の姿も))



2. 今回の感想と補足


2−1、  一日中雨のため、傘を差しての行動のため足元が濡れているため石段や玉石敷きの道があり滑るので歩きづらかったが、転倒者も無く無事に行事が終了し役目が果たせてホットした。

2−2、  「大河内城跡」は、我々が住んでいる桜にゆかりの伊勢の国司“北畠満雅”が、北朝方に対抗するために応永22年(1415年)に築いた城で、弟の顕雅を城主に子孫が居城としていた。
 永禄12年(1569年)織田信長によって包囲された上、信長の軍勢を迎え撃ったが2ケ月間の籠城の上、当主具教の養子に信長の次男信雄を入れたことで具教は城を退去した。 
 会員達は、遠く北勢まで支配していた伊勢の国司“北畠”について、立寄った「大河内地区市民センター」の職員に熱心に質問する会員もいた。

2−3、  今回訪れた丹生(にゆう)と呼ばれる地名は、“丹”は水銀が含まれている辰砂(鉱石)の色が丹頂鶴の頭部と同じ赤い色をした鉱石が産出された地。
 「“丹”が“生”れる」より、各地に丹生と付く地名と神社が多くある。
 ここの丹生は、奈良時代の和銅年間(708〜714年)に水銀が発見され、一時は“丹生千軒”と呼ばれる程栄えたと言われていた土地である。
 聖武天皇の発願で天平17年(745年)に製作開始された、奈良の東大寺の大仏建造の金メッキ用に大量に、ここの丹生水銀が使われたと言われる。

2−4、  弘法大師ゆかりの丹生大師は、空海の師である勤操大徳により宝亀5年(774年)師により開創された名刹である。
 平安時代の光仁年間(810〜824年)に、唐から帰った空海は当山に立寄った際、観音堂の梁に勤操大徳創立とあるのに気づき弘仁6年(815年)に七堂伽藍を建立と伝えられている。

2−5、  多気町では、「県立相可高校の食物調理科が運営する“まごの店”」と人気を2分する「農村料理の“まめや”」で昼食をした。 
 この店は、この地方の“豆”を主とした田舎料理を地域の年配の女性達が昔ながらの味付けであったが、誰一人も味に対して不満の声は無く安心。
 会員の年齢構成が65歳以上なので昭和30年代の食事を思い出しながら、ご飯・おかず等のお代わりされていた方がみえたので安心した。

2−6、  「本楽寺」には、一ケ月前に本堂裏の庭園である“快楽園(ケラクエン)”内に生えている竹について問われたので、訪問前に送付する「竹に関する資料」に「庭園の拝観と駐車場の使用」添付し事前にお願いしておいた。
 そのため、我々が境内に入った足音を聞きつけた“尼子住職”が直ぐにお見えになって、自ら「本堂の仏像・庭園・境内の樹木」について詳しく説明をして頂き感謝した。

2−7、  丹生地区の方々には、団体行動のために一ケ月前に色々と協力を依頼しておいたので、行程が略計画時間通りに行動することが出来た。

15歳の春に郷を出ているので、余り丹生の歴史について知らないので故里の方々に、更に借りが出来てしまったが非常に助けられた。
2009年4月25日掲載