桜郷土史研究会
鈴木健一
2005年11月7日掲載
歩いた日時 : 2004年 2月28日(土)
天 気   : 晴れ
気 温   : 最低 2.0 ℃ / 最高 9.0 ℃
同行者   : 単独行


ルート

四日市市北町―西町―久保田―高角町―菰野町宿野−福村

―菰野 = 約12.9 Km

 桜ケ丘発 10:05―<自家用車>―四日市市北町旧東海道との分岐点着 10:05 旧菰野道へ出発 10:10−西町 10:18−久保田町 10:44−近鉄高角駅前 11:57−桜駅前 12:25−菰野町神森バス停 12:40/昼食/出発 13:35―菰野駅前 14:05−終点菰野コミニティーセンター着 14:10−近鉄菰野駅 14:15/14:23発−<近鉄湯ノ山線>−桜駅着 14:27−桜ケ丘着 15:05・・・・ (実所要時間 3時間 5分:史蹟見学含む)


費 用   (参考として物価)

 交通費  : 近鉄菰野駅〜桜駅 ¥ 170(片道)
 食 費  : “味噌煮込みうどん+ご飯”で¥1,150 (含む消費税5%)



出発点 旧東海道の四日市市北町より
 旧街道の道筋は、三滝川右岸の国道477号線を近鉄高角駅前交差点まで行き、左折して一時国道と別れ矢合川に沿って進み桜地区内の曲がりくねりながら抜け、再び菰野町宿野で国道477号線に合流し菰野町東町商店街までの生活道路で、菰野の人達は四日市道とも呼んでいた。 

 菰野道の出発点である四日市市北町の旧東海道との分岐点より歩きはじめるが、直ぐに国道一号線と交差するが横断歩道がなくなっているので、左折し陸橋を渡って横断し西町に入る。

 国道一号線より西北西に400m行った、右側の堤防下にある西町会館の隣に“延命地蔵尊”があり、三体の石造り地蔵尊が安置されている。
 菰野道は、これより右の道を行き堤防の上の道に出ると丁字路となっている、ここが“千草道”との分岐点であり“菰野道”は近鉄名古屋本線の踏切りを渡り、三滝川堤防沿いに上流に向かって歩くが歩道もなく、狭い道を勢いよく走る車が多いので気を付けながら進む。
 右に野田橋を見て300m行った所で、左の道を下ると右側に“久保田の氏神”があり、氏神さんの前の狭い路地を東に100m入り込んだ所に“蓮光寺”がある。



( 延命地蔵尊 )


( 久保田の氏神 )

 氏神さんから30mも行くと、国道477号線と合流すると交通量は更に多くなり、横を疾走する自動車の風圧を受けながら歩くので緊張が走る。
 大井手の丁字路交差点、ENEOS(林興業)のガソリンスタンドを左折し、二つ目の交差点を更に右折し狭い路地の奥に浄土真宗本願寺派の“浄蓮寺”がある。
 ガソリンスタンドを過ぎ300mほど行くと、“県道8号線の延長”に新しく“尾平橋”が架けられ、四日市商業高校生が通学に利用していた“古いコンクリートの柳橋”は、老朽化と道幅が狭く通行に危険なために撤去工事中であった。
 県道8号線と交差点より国道477号線を、2Km程三滝川沿いに植えられた大きな樟?並木を見ながら、上流に向かって進むと交差点がありこれより川島町である。
 旧街道は、ENEOS(大西石油)のガソリンスタンド手前の交差点で、国道477号線と別れ左側の狭い道路に入る、川島町の街並みを見ながら1,000m進むと県道630号線(川島貝家線)に出合う、右側の橋を渡って再びで国道477号線に戻り三滝川沿い進む。
 交差点から250m歩いて行くと左側の桜から“矢合川”の水が、右の“三滝川”に合流している。



(  旧の柳橋撤去工事中 )


( 三滝川と矢合川の合流点 )

 国道を750m程進み、近鉄湯ノ山線高角駅前の交差点で再び国道477号線と別れ、左側の道路を行き近鉄湯ノ山線の踏切り“矢合川”に沿って北西に歩く。
 踏切りから1Km程歩くと、東名阪自動車道のガードがあり手前の三重橋の北東には“智積廃寺跡”がある、壬申の乱以降約100年間存在したと言われ“川原寺式の軒丸瓦・軒平瓦”が発掘され、それらの遺物は市立博物館で常設展示されている。
 旧街道はガードをくぐり十字路を右折し矢合川に架かる“矢合橋”を渡り、Y字路から左側の道を進み60m行ったら左折して水路沿いに歩く、この川は環境庁の「日本名水百選」に選ばれた“智積養水”である。
 ここから桜地内の曲がりくねった道筋を進むと、十字路の傍に“延福寺跡”があり「現在は智積公会所」となっている。



( 智積廃寺跡を望む )


( 延福寺跡 )

 更に進むと右手に、桜地区の氏神さまである“椿岸神社”があり、更に50m北の外れに“西勝寺”が建っている。
 又、旧街道は、神社傍の十字路を左折し西に行くと丁字路に出ら、今度は右折して進み“県道753号線(平尾茶屋町線)を横切る。



( 椿岸神社 )


( 西勝寺 )

 旧街道は、交差点より100m行ったら左折し狭い道右左折して進むと、小島印刷の横の道より菰野への自動車道出たら右折し広い道を進む。
 旧街道より外れた路地を、更に狭い道を北に150m程奥に入った所に“安正寺”がある。
 桜地内の道筋は、“桜の七曲り”とも言われ狭い路地を行くので、住宅地図を片手に民家の表札を確認しながら歩いた。
 150mも進むと、“金渓川”に架かる“三重橋”を渡るとここから菰野町である、右手に近鉄湯ノ山線の線路を見ながら1Km行き踏切りを渡ると、再び国道477号線と合流する。
 国道477号線を歩いて行き、“菰野厚生病院”から150m進むと右手のガソリンスタンド横に「佐々木惣吉が関取米を発見した偉業を偲び“関取米記念碑”が建っている。
 旧街道は、“交差点脇に建っている大きな石灯篭”の左側の道を進み“東町商店街”を歩いて行くと、右側に“瑞龍寺”があり100m程行くと終点の“菰野町コミニテーセンター”に到着して今日の旅を終えた。



( 関取米記念碑 )


( 瑞龍寺 )

 旧菰野道を歩いたが、歩道がないので通行車両に巻き込まれる危険があるので、国道477号線の歩道新設が望まれる。

 四日市市北町の旧東海道との分岐点〜菰野町コミニティーセンターまでの間に、松並木は全く残っていなかった。



今日の終点 菰野町コミニテーセンター

 今回、旧菰野道を歩くにあたっての道筋は、三重県歴史街道事務局ホームページの“みえ歴史街道 ウォーキング・マップ”を参考にした。

 実際に歩いたところ、三重県歴史街道事務局の道筋で桜地内の道筋で納得が出来ない個所があり、2004年 3月 9日、“桜郷土史研究会”の関係者に尋ねた。
 旧菰野道は、昔から桜地内では“桜の七曲がり”と言い伝えられている。

問ー1


 (答え)

 三重県歴史街道事務局資料の道筋は、西勝寺付近で異常に“コの字形”に曲折し狭い道となっている。

 西勝寺の南の道は通らず⇒椿岸神社横の十字路を左折して智積公会所(延福寺跡)前を通り西に進み丁字路に出る。
問ー2


 (答え)

 歴史街道事務局の資料によると、古い道筋は現在の石川病院敷地内を北方向に斜めに横切り、安田屋角の十字路で“県道753号線号線(平尾茶屋町線)を横切る。

 古い道筋は、佐倉城沿いであり現在の道筋が正しい。又高齢の人の記憶も北方向に斜めに横切り道筋はなかった。
問ー3


(答え)

 歴史街道事務局の資料では、小島印刷横の路地より右折して自動車に出ると、“桜の七曲がり”に対して曲がり角の数が多すぎる。

 “桜郷土史研究会”会員の話によれば、林石材店の角で左折して安正寺の前を通り過ぎた後、北進して現在の“三重橋”下流50m付近(近鉄湯ノ山線鉄橋付近)で“金渓川”を渡っていた。