勢イ力八が、真に故郷へ錦を飾ったのは、「君ヶ嶽重五郎の追善供養」の願主となって来村したときでした。 この時、力八は未だ幕下でしたが、中央の相撲界での活躍は、郷土のおおいなる誉れであり、堂々の帰郷でした。 さて、故郷に錦を飾った勢イ力八の「歓迎の宴」が開かれたときの事です。 その宴会に、智積村(ちしゃくむら)の五俵力(ごひょうりき)の男も招かれていました。 五俵力の男とは、米俵を五俵担ぐことが出来る男子のことです。 当時の米俵は、1俵が18貫目(約67.5kg)ありました。 それを5俵も担ぐというのですから驚きです。 しかし、どうやって担ぐのでしょう? 先ず、両肩に1俵ずつ、その上に3俵を積み上げてもらうのです。 総量約340kg! そんじょそこらの力持ちではないことがお分かりでしょう。 話を「勢イ力八歓迎の宴」に戻そう。 何分、有名な力八の前ですから、五俵力は遠慮して、末座で、大きな体を小さくして座っていました。 宴席に顔を出した力八、目敏く五俵力の男を見つけて、上座に座るように勧めますが、五俵力頑として動きません。 そこで力八、両手をむんずと差出し、五俵力の男を座布団に乗せたまま持ち上げ、ずしん、ずしんと上座に運んで据えたと言うことです。 その様は、「あたかも三宝(さんぽう)にのせた鏡餅を床の間に飾るようであった。」と、永い間の語り草でした.。 「勢イ力八」こぼれ話、もう一つ。 同じく追善相撲供養の折、力士達の宿は柏原宅であったが、その庭に運び込まれた米俵の端を片手でひょいと持ち上げ、屋根の軒瓦を俵で指しながら、一枚、二枚と瓦を数えながら歩いて、居合わせた村人を感嘆の渦に巻き込んだそうです。 何枚まで数えたかは語り継がれていませんが、なんともはや豪快な話ではありませんか。
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