三重県四日市市智積町の「智積養水(ちしゃくようすい)」は、
- 江戸時代に本格的に敷設された灌漑用水(かんがいようすい)施設で、隣町の三重郡菰野町神森にある湧水池の蟹池(かにいけ)の水を貰い受け、用水路で智積町に引き入れて水田約50町歩(50ヘクタール)を灌漑しています。
(註:「灌漑(かんがい)」とは、河川や池などから水を引き、農作物を育てるために田畑へ人工的に給水したり排水することです)
智積養水路の全長は1,784メートル、幅は1〜2メートルあります。
この智積養水のお蔭で、現在も智積町の稲作収穫量は安定しています。
また戦後30年代(1955〜64年)頃まで、住民は毎日この清流で顔を洗い、米をとぎ、麺をさらし、野菜を洗うなど、智積養水の恩恵をいっぱい受けてきました。
そのため何時からともなく、水田を潤し人々を養う惠(めぐみ)の水に対して「養水」の文字を当てて感謝の気持ちを込め、そして年に数回の水路清掃も怠りなく、世代から世代へ脈々と大切に守り受け継いできました。
戦後の高度経済成長に伴い、上水道が普及するなど人々の生活様式が多様化し、智積養水に生活排水等による汚染が広がって、昔の清流の面影を失った時期がありました。
これに危機感を抱いた智積町自治会が、昭和47(1972)年、智積養水の美化に立ち上がり、子供たちにも鯉の放流に参加させるなど、地域住民こぞって水質保全に対する意識高揚を図りつつ、水路の清掃になお一層力を入れました。
その後十数年間、鯉の放流と水路の清掃を続ける住民の固い結束と熱い合意が遂に効を奏し、ほどなく本来の清流が智積養水に戻りました。
こうして、「環境の世紀」といわれる21世紀にふさわしく、智積養水の清流を今世紀に引き継ぐことができました。
今後も私たちは、水質保全に力を注ぎ、町並みを流れる清らかな水と鯉の群れが、人々に安らぎと癒しのひとときを与え続けていくことを願っています。
智積養水の詳細解説は次頁にあります。
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