時代 年月日 |
出 来 事 |
〜 戦国時代
1561年(永禄4)頃 |
現・矢合川は「智積川」と呼称されていた。(出典・『勢陽五鈴遺響』安岡親毅著) |
江戸時代
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伊勢国三重郡智積村、佐倉村、桜一色村の3村でした。
現・矢合川は、智積村地内では「生水川」、佐倉村では「今井川」と呼称され、生水川には生水橋を含むニケの石橋、今井川には三ヶの石橋が架かっていた。 |
江戸時代、
寛政7年(1795)3月 |
四日市往還に設けられた「生水橋」の両岸に「引石」が建立される。 |
明治8年
(1875) |
佐倉村と桜一色村が合併して桜村と称し、智積村と2村となる。 |
明治22年
(1889) |
桜村と智積村が合併して桜村と称し、1村となる。
これを機に「生水川」と「今井川」は、「矢合川」と統一改称される。 |
大正10年
(1921) |
バス運行の事前工事で「生水橋」が撤去され、欄干付きの「矢合橋」が架かる。
「引石」は無用となり廃棄され、行方不明となる。 |
昭和8〜11年
(〜1936) |
外周道路「新道」と「新矢合橋」が建設され、バスはこの道を通る。 |
昭和29年(1954) |
四日市市へ合併、四日市市桜町と智積町の2町となる。 |
昭和50年頃
(1975) |
老朽化した矢合橋は撤去。新矢合橋の重要性が増し漸次「矢合橋」と呼ばれる。 |
平成21〜22年
(2002) |
既存「矢合橋」を撤去して、拡幅設計の「矢合橋」が建設される。
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平成25年(2013)
10月2日 |
生水橋の両橋詰に建てられていた「引石」は、大正10年(1921)以降、別々の運命を辿るも遂に並び立ち「一対の引石」として西勝寺境内で保管される。
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