「大門山(川島町)」と「瓢箪池」の現地確認

                                        2010年11月30日
                                        作成・ 鈴木健一

  • 日 時 : 2009年11月13日(金) 天気 晴時々曇 気温 16.7℃/10.1
  • 同行者 : 「桜郷土史研究会」藤田俊樹さん
  • 目 的 : 明日の“桜の史跡めぐり”案内説明のため、現地を訪ねて確認する。

  • 大門山
    川島町の「大門山」は、電話が敷設される大正時代の中頃まで、大阪堂島の米相場を東京へ知らせるため、桑名・東京への取次する "のろし場" として活用されたといわれている。
    ”のろし”とは、実際には旗振りや松明による「火の旗」を振ったものと思われる。

     乱飛集落への道を左折する。

     大門山散歩道の案内に従い、
            鹿化川の橋を渡り進む。
     大門山の鉄製の展望台からは、
      黄砂により展望がきかなく残念。
     大門山についての説明板。


  • 瓢箪池(ひょうたんいけ)
    「雨池」の上にあったと言われている”ひょうたん池(上雨池)”は、桜台3丁目東側からブッシュの急斜面から「一生吹山」との谷に入る。
    智積の方に教えてもらった山道は、間伐された樹木の捨場になっており、転落しないように下ると、斜面の途中に”ブロック造りの祠”に出会う。

     急斜面にあるブロック造りの祠  祠の中には、石仏らしきものが

    谷川に降り、「マムシ(毒蛇)」に気を付けながら、下流に進むと一反ほどの湿地に出る。
    既に、土砂の堆積で灌木も生えている。
    更に、谷川を下ると、大きな水音がするので近づくと、高さ5メートルの瀧がある。
    帰路、瀧を高巻きにして上流に向かうと、コンクリートの堰があり、位置関係から「ひょうたん池」の堰と考えられる。

     急斜面を下った谷間に広がる湿地には土砂が堆積しているが、
               雨池からの距離から「ひょうたん池」と考えられる。
     コンクリート製の堰は、
       「ひょうたん池」のものと思われる。
     「堰」の30メートル下流にある小さな瀧

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