君ヶ嶽重五郎は、明治13年(1880年)11月5日、相撲興行の巡業中に、今の桑名駅付近で急病のため不帰の客となりました。
その死から約1年半後の明治15年(1882年)3月18日、19日に、もう一人の郷土の力士「勢イ力八」と、隣村(菰野村)の「勢海浪五郎」を願主として、「君ヶ嶽重五郎の追善供養」の法要が二日間催行されました。
時 |
明治15年3月18日、19日(二日間) |
場所 |
智積村字花本の田地 |
願主 |
勢力八(勢イ力八)・・・郷土出身力士
勢海浪五郎(明治15年までの四股名で、後の「増位山浪五郎」三重郡菰野村出身力士) |
力士達の宿 |
柏原久次郎宅。 |
行 司 |
木村庄三郎であったらしい。 |
興行の模様 |
興行二日目の午後3時頃
中入り後、追善焼香の式。
阿弥陀経読経中、土俵上では霊前に向かって二度の土俵入り。
続いて、首座より一人ずつの焼香。
その後、三役千秋楽が行われました。 |
(参考文献:西勝精舎聞書抄(山田教雄著)
逝去した「君ヶ嶽重五郎」と、その追善相撲の願主となった「勢イ力八」と「勢海浪五郎」の3人は、同部屋で同郷の三重郡出身でした。 しかも明治13年当時、「勢海浪五郎」は最下位ながら、3人共に二段目でした。 そこへ君ヶ嶽重五郎の急逝。 互いに入幕を目指して切磋琢磨し合っていた矢先の出来事、残された二人の衝撃はいかばかりだったでしょう。
「勢海浪五郎」改め「増位山浪五郎」について
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●明治15年3月、勢海浪五郎は「君ヶ嶽重五郎の追善相撲供養の願主」となる。
●明治16年1月、勢海浪五郎から「増位山浪五郎」と改名する。
(師匠境川浪右衛門の前名「増位山」を譲られる)
増位山(勢海)浪五郎の履歴 |
出身地 |
三重県三重郡菰野村菰野 |
本名 |
鈴木 角蔵 |
所属部屋 |
境川部屋 |
生年月日 |
嘉永6年8月14日 |
没年月日 |
大正元年9月21日 享年59 |
初番付 |
明治7年2月 |
最終場所 |
明治24年5月 廃業 |
最高位 |
十両筆頭 |
増位山浪五郎(勢海浪五郎)の相撲歴 |
年 月 |
番付上の地位 |
四 股 名 |
明治 7年 2月 |
西 五段目15 |
青可い 波五郎 |
12月 |
西 五段目 2 |
青海 浪五郎 |
8年 5月 |
西 四段目 1 |
勢可い 浪五郎 |
12月 |
西 四段目 1 |
勢海 波五郎 |
9年 5月 |
西 四段目 1 |
〃 浪五郎 |
10年 1月 |
西 三段目23 |
〃 〃 |
5月 |
西 三段目17 |
〃 角蔵 |
12月 |
東 三段目 4 |
〃 角三 |
11年 6月 |
東 三段目 1 |
〃 浪五郎 |
12年 1月 |
東 二段目38 |
セい海 〃 |
6月 |
東 二段目39 |
勢可い 〃 |
13年 1月 |
東 二段目27 |
勢海 波五郎 |
5月 |
東 二段目29 |
〃 〃 |
14年 1月 |
東 二段目25 |
〃 浪五郎 |
5月 |
東 二段目17 |
〃 〃 |
15年 1月 |
東 二段目15 |
勢可い 〃 |
5月 |
西 二段目15 |
勢海 〃 |
16年 1月 |
西 二段目13 |
増位山 浪五郎 |
5月 |
西 二段目11 |
〃 〃 |
17年 1月 |
西 二段目 9 |
〃 〃
(二段目10枚以内は現在の十両のこと) |
5月 |
西 二段目 5 |
〃 〃 |
18年 1月 |
西 二段目 2 |
〃 〃 |
5月 |
東 二段目 1 |
〃 〃(最高位) |
19年 1月 |
東 二段目 1 |
〃 〃 |
5月 |
東 二段目 6 |
〃 〃 |
20年 1月 |
西 二段目 8 |
〃 〃 |
5月 |
西 二段目13 |
〃 〃 |
21年 1月 |
西 十両10 |
〃 〃 |
5月 |
西 幕下 2 |
〃 〃 |
22年 1月 |
西 幕下 6 |
〃 〃 |
5月 |
西 幕下 9 |
〃 〃 |
23年 1月 |
東 十両 8 |
雲竜 久吉 |
5月 |
東 幕下 6 |
増位山 浪五郎 |
24年 1月 |
西 幕下15 |
〃 〃 |
5月 |
東 幕下28 |
〃 〃
(場所限り廃業) |
※明治21年1月より十両と幕下の区分が番付上で明確になる。
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