桜の史跡NO.17 説明板集⑰へ |
写真右側の水田下から、智積廃寺の遺構や遺物が発掘されました。 写真中央は農道、左は智積廃寺跡の石碑と説明板、背後は東名阪自動車道の土手です。 智積廃寺跡の所在地・・・三重県四日市市智積町字土丹(ちしゃくちょうあざどうたん) 「智積廃寺跡」へのアクセス |
第1章 智積廃寺と壬申(じんしん)の乱 | |||||||||||||||||||||||||||
(1)仏教寺院建立の潮流・・・大和飛鳥の中央から地方へ
(主な参考文献:八賀晋著「天武天皇と白鳳寺院」『東海の神々をひらく』、『四日市市史第16巻』)
(7)全国各地の古代寺院について
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第2.智積廃寺の位置と発掘状況 | ||
(1)遺構の位置
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第3. 発掘調査結果 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
(1)発掘された遺構
A.塼仏(せんぶつ)
B.軒丸瓦(のきまるかわら)
C.軒平瓦(のきひらかわら)
1. 鬼瓦
2. 丸瓦
(3)土丹(どうたん)遺跡について(四日市市智積町字土丹) 土丹遺跡の位置は、「智積廃寺・土丹遺跡周辺地図」 でご確認ください。
智積廃寺の瓦を焼いた場所は、廃寺跡から北東約1.3kmの三滝川対岸の生桑山丘陵地西斜面に位置する「北浦古窯(きたうらこよう)跡群」であることが、以下の理由で推定されています。
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ー 完 ー | ||||||||||||||||||||||||||||||||
文責:永瀧 洋子 |
参考資料:『智積廃寺発掘調査報告書』(四日市市教育委員会1968年発行) 、『智積廃寺・土丹遺跡』(四日市市遺跡調査会1991年発行)、『三重県の古瓦』(三重県の古瓦刊行会)、『四日市市史第3巻、第16巻』、『よみがえる大津京』(大津歴史博物館)、『仏像東漸』(四日市市立博物館)、『飛鳥・藤原京展』(奈良文化財研究所)、『縄生廃寺跡発掘調査報告』、『縄生廃寺跡範囲確認調査報告Ⅰ』(朝日町教育委員会)、「天武天皇と白鳳寺院」『東海の神々をひらく』・「壬申の乱と古代寺院」『日本古代史新講』(八賀晋著)、『古代日本国家形成の考古学』(菱田哲雄著)、『壬申の乱』(倉本一宏著)、『飛鳥白鳳の古瓦』(奈良国立博物館編)、『日本の古代瓦』、『古代尾張における寺院造営』(森郁夫著)、『日本の美術NO.66古代の瓦』(稲垣晋也編)、『元興寺の古瓦』元興寺文化財研究所発行、『全現代語訳
日本書紀(下)』・『全現代語訳 続日本紀(上)』(宇治谷孟著)、「中部日本新聞 昭和28年3月7日」、「櫻村高塚發掘後記」『三重郷土会会誌1952-53』(田中安一著)、(『四日市の文化財』四日市市立博物館発行)、『東名阪道路埋蔵文化財調査報告』(日本道路公団名古屋支所・三重県教育委員会編)
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