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ここまで「桜村処女会」の「副会長」を務めた杉野久様の証言、および『三重県補習教育社会教育事績』の記載内容によって、桜村処女会の「会長・副会長は会員の中から選出」されていたことを検証しました。 更に、全ての処女会事業は「会長以下会員が一致協力して計画実行」したという杉野様の証言と、それを裏付ける”伊勢新聞”の掲載記事からも「桜村処女会の自主・自立性」を実証しました。 この様に大正時代の桜村には、先進的な処女会が存在しましたが、必ずしも村全体に先進的な思想が浸透していたのではなく、まだまだ男尊女卑の封建意識が残存し、儒教的な「家制度」が厳然と敷かれており、家父長の権限は絶対で、娘は家父長の命じるままに女工となって家計を助け、なおかつ、娘の結婚の時期と相手も一存で決め、嫁は家制度の抑圧下で過酷な労働を要求されるというような全国各地で当たり前にみられた農村社会そのものでした。 生活環境の視点から見る明治・大正時代の日本は、都会の一部を除き、近代的な水道や排水と下水の諸施設が未整備であったため、男女ともに消化器系の疾患に罹ることが往々にしてありました。 また生理衛生知識の欠如が原因で、健康を損なった未婚女性が、無医村であるため、又は医者がいても貧困のため受診できず、病気をそのまま放置したり、民間治療薬に頼るのはまだしも、ともすれば村の呪術師や祈祷師の呪い(まじない)に頼ることも習慣として残っていたようです。 それからもう一つの問題は、地方では往古から受け継がれた男女交際のおおらかさが依然として残っており、その結果として、密かに不衛生な手段による堕胎や嬰児殺しが行われることも間々ありました。 こうした事態を改善するため、国や地方自治体が未婚女子に対して、小学校以外の場で「台所の整理・清潔の励行」や「生理・保健衛生の知識」について、科学的な正しい知識を教授する姿勢は適切であったと思います。 しかし、思慮ある大人の男性が、守るべき青年女子の組織を、日本の各地で「処女会」と平然と名付け、男性優位の儒教的倫理観をそのまま体現化させていました。 つい最近も、ある政治家が「少子化問題対策」に触れ、「女性は子供を産む機械・装置」と発言して、日本の社会には未だに不合理な女性差別があることが顕在化しました。 現今、日本国憲法は14条「法の下の平等」で男女差別を禁止し、24条では「家族生活における個人の尊厳と両性の平等」を定め、封建的な「家制度」を廃止しています。法制上は男女平等となっても、今後も女性が再び処女会時代のように理不尽な目に遭わないとは言い切れません。 変わりにくい現実は、今も重い課題として残っています。 ー 完 ー 2014年4月 永瀧 洋子
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