【桜村処女会】三重県三重郡桜村(現四日市市桜地区)1910年(明治43)創立

桜村処女会主催の「敬老会」記念写真 (撮影:大正14年12月8日)

目      次
 はじめに

 1章 処女会設立の時代背景

 2章 なぜ「処女会」と名付けたのか?

 3章 女子の就学率と女子教育

 4章 桜村処女会の概要
 5章 処女会の会長種別

 6章 桜村処女会の活動内容

 7章 処女会の終焉

 おわりに

 別添「桜村処女会退会員寄贈の茶道具」PDF
  
はじめに
 処女会とは、義務教育終了後のおよそ12歳から25歳までの未婚女子の会の総称で、社会教育の一環として明治末期に組織化が起り、大正時代を通して主に農山漁村部で発達しました。処女会設立の主な目的は、婦徳(婦人が守るべき道徳)の修養と、裁縫・料理・保健衛生など女子に必要な知識や技能を授けることにあり、 会長は村長、副会長は小学校長、指導者には小学校の女教員が当たるのが一般的でした。

 三重県三重郡桜村(現・四日市市桜地区)で1910年(明治43)に創立された「桜村処女会」の調査の為、1997年(平成9)の冬、当時94歳の杉野久様に聞き取り調査に御協力をいただきました。数々の貴重な証言のうち、とりわけ『桜村処女会の会長は私より4歳年上の伊藤酒造の娘さんの伊藤つるゑさんで、私は伊藤さんに勧められて副会長をしておりました。』という話に強い衝撃を受けました。何故ならば、全国的な傾向として、処女会の会長は村長、副会長は小学校長であり、しかも処女会と同時期の青年男子の組織「青年団」でも、団長は村長、副団長は小学校長が通例であったからです。
杉野様の証言通り、桜村処女会では「会員が会長や副会長」を務めたのならば、何故そのように先進的な役員構成が、都会でもないこの地であり得たのかと強く興味を惹かれました。
 このように処女会史上、非常に特殊と考えられる「桜村処女会」の実態を解明するため、処女会組織化の時代背景と処女会の先行文献資料や源資料を調査研究し、さらに桜地区内の年配女性への聞き取り調査を行い、慎重に考察した「桜村処女会」の真の姿をここに記します。

                                                (2014年2月23日  永瀧 洋子)