桜の史跡NO.6 |
(きょうそんほっし の ひ) |
桜の史跡説明板⑥へ |
「教尊法師の碑」の所在地・・・山上(やまじょ)公会所(四日市市桜町879番地) |
(四日市市公開型GISを基に加工作成。eitaki) |
目 次 |
1.教尊法師の碑(きょうそんほっしのひ) |
2.教尊法師の生涯 |
3.小倉氏の略史 |
4.「山田城」の創建から落城まで |
5.山上公会所の阿弥陀如来像 |
6.【参考】小倉西家の本拠「山上城」の現状 |
1.教尊法師の碑(きょうそんほっしのひ) | ||||||||||||
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「教尊法師(きょうそんほっし)の碑」は、戦国時代に浄土真宗を当地に伝えた僧形武将・教尊法師を崇敬して、四日市市桜町西区山上(やまじょ)の人々が昭和57年に建立しました。 「教尊法師の碑」
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2.教尊法師の生涯 | |||||
室町時代、”蓮如上人” と ”教尊法師”
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3.小倉氏の略史 |
小倉氏の略史 小倉(小椋)氏の系譜を「尊卑分脈」でうかがうと、清和天皇第六王子貞純親王の孫満季から出ています。
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4.「山田城」の創建から落城まで |
山田城(小倉西家の支城)
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5.山上公会所の阿弥陀如来像 | |
【謝辞】「5.山上公会所の阿弥陀如来像」の項は、2000年5月、元桜郷土史研究会会員奥山勝氏にご教示頂きました。誠に有難うございました。 |
【参考】小倉西家の本家「山上城」の現状 |
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「3.小倉氏の略史」で既にみたように、小倉西家は「山上城」を本拠としました。 支城として、山田城(教尊法師の城)、和南城、相谷城、八尾山城がありました。
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(参考文献:昭和52年(1977)発行『西勝精舎聞書抄』山田教雄著・教尊法師の御子孫西勝寺十八世、『永源寺町史通史編』、『湖国百選-城-』滋賀県発行、『東近江市遺跡分布地図』、『滋賀県中近世城郭分布調査報告書』滋賀県安土城郭調査研究所発行、『滋賀県の歴史』山川出版社2010年、『戦国人名辞典』新人物往来社 2000年8月15日掲載、2019年6月16日更新 |