1.桜地区の山の神の祭神 |
- 桜地区の山の神の祭神は、10基のうち7基が「大山祇命(おおやまずみのみこと)」です。
- 残る3基の祭神は、「八衢比古命(やちまたひこのみこと)・八衢比売命(やちまたひめのみこと)」で、桜村の三つの字で祀られています。(出典・『明治17年調べ伊勢國三重郡櫻村地誌草稿』」
三つの字・・・斧研(よきとぎ)(桜町西)
山上垣内(やまじょかいと)(桜町西)
西の平(にしのひら)(桜町南)
- 「八衢比古命・八衢比売命」の二神は道祖神で、「往古より村の辻々に座して外から侵入してくる邪神を防ぎ、かつ疫病退散の神」として一般的には信じられています。
「山の神」のページに各々リンクしていますのでご参照ください)
「斧研(山神−5)」、「山上(山神−4)」、 「西の平(山神ー2)」
|
2.八衢比古命・八衢比売命の掛軸について
|
- この掛軸は、往古から村人に受け継がれたものではなく、明治12年4月、現在の桜町南区公民館の西に、神宮教桜分教会所が創設された際、“旧佐倉村”のうち奉納金を献納した“字”に対して神宮教本院から贈られたものです。
しかし、何故「大山祇命」ではなく、道祖神である「八衢比古命・八衢比売命」の掛軸が贈られたかその理由は不明です。
なおこの時、桜一色村と智積村はこの件についての関与はありませんでした。
(以上、桜町・佐野師光氏のご教示による)
参照:「山之神の掛軸について」へ
参照:神宮教桜分教会所の絵図・『三重県縣伊勢國三重郡櫻村大字櫻 御園櫻神社之圖』
「神宮教」について
明治初年、伊勢講を再編成して、伊勢神宮の神官の指導下においた伊勢信仰系の宗教。
伊勢神宮の布教活動とともに神宮大麻と暦の頒布を業務とした。
明治32年(1899)解散して神宮奉斎会を組織。昭和21年(1946)解散。 |
|
3.「八衢比古命・八衢比売命」を祭神とする「山上」の特異性について
|
- 桜町山上では、昔から昭和40年代初頭まで(但し、昭和16年から20年代半ばまでの戦中戦後を除く)、毎年各組毎に「山の神の宿」(山神の当番の家)を順番で持ち回りをして、12月6日には当番の宿の床の間に「八衢比古命・八衢比売命」の掛軸をかけ、御酒と御鏡餅をお供えして、組中の人々が寄り集まって山の神に篤い崇敬の意を表してきました。
現在、その祭事形態を簡略化しながらも継承し続けているのは、山上第一自治会1番組と2番組だけとなってしまいました。
今回(2005年)の調査で分かったことは、この祭事はあくまでも“山の神”に対する山上の人々の信仰心の表れです。
掛軸に書かれた神名が“道祖神”であることも、“掛軸の由来”も言い継がれていませんでした。
この掛軸を伴う祭事の継続は「山上」だけに留まり、同様の掛軸を所有したとされる「西の平(南区)」や「斧研」では、掛軸についてさえ最早忘れ去られています。(2005年12月の再調査で確認)
- ”掛軸を伴う山の神祭事”は、日本人ならば誰でも体験する”神様に対する畏敬の念”を、形で表した崇高な行事であり、桜地区の誇りです。
同様の掛軸を所有したとされる「西の平(南区)」や「斧研」では、この「掛軸」について最早忘れ去られています。(2005年12月の再調査で確認)
「桜地区全体の歴史」の中のこの1ページが、受け継がれ、語り継がれ、豊かな郷土の姿として、後世の人々に感動を与えるに違いないと信じております。
山上に継承されているこの「山の神祭事」は、疱瘡の神信仰とも深く関わりがあると考えられます。
是非、「疱瘡の神」のページも併せてご覧下さい。
|