(三重県四日市市桜地区の山の神) |
山の神は原始民間信仰の一つで、農民・狩猟民・鉱業者などの間で古くから信仰されていますが、山の神の性格や祭日やまつり方などは、地方やまつる人々によって大きな差異があります。 農民にとっての山の神は、秋の収穫後は山の神として近くの山中にあり、春になると里に降りて田の神になるという“神去来の信仰”が伝えられ、一方、山仕事に従事する杣(そま)・炭焼・木地師・猟師などにとっての山の神は、田の神にならず山中常在の神と信じられています。 山の神の祭神は、記紀神話にみられる神、すなわち『古事記』によると「大山津見神(おおやまつのかみ)」、『日本書紀』によると「大山祇命(おおやまずみのみこと)」であるとされ、日本国内総ての山をつかさどり、水源や田の実りも支配する神として信仰されています。 |
桜地区の「山の神」
2002年と2005年の調査結果 (各地の自治会長様や有識者様に協力いただきました。誠に有難うございました)
|
桜地区の「山の神」一覧 「山の神」の位置は、「Map道標と山の神」でご確認ください。 |
(山神-1) 椿岸神社境内の「山の神」 | |||||||||
桜の史跡「椿岸神社」のページへ |
|||||||||
|
|||||||||
山の神にまつわる談話(聞き取り調査:2002年4月) 智積第3自治会の橋川佐市氏談 |
|||||||||
|
(山神-2) 桜観音堂境内の「山の神」 | |||||||||
桜の史跡「桜観音堂」へ |
(山神-3) 地蔵堂裏山の「山の神」 | |||||||||
(2002年4月撮影) (2005年11月9日撮影) |
桜の史跡「地蔵堂」へ |
||||||||
下図は『三重郡櫻村地誌付属之図(明治18年(1885年)作)』に適宜文言等を挿入した地図です。(責任・eitaki) *”赤色の文字と記号”は、「一色の山の神」関連事項です。 (1)明治18年(1885年)当時、櫻村一色の「山の神」は「十兵衛薮」に鎮座。 (2)その後、一色地内の溜池(通称弁天池)の小島へ遷座。(遷座年及び溜池の位置不明) (3)昭和45年(1945年)頃、現在地の地蔵堂裏山へ遷座。 |
|||||||||
【桜地区のむかしばなし】「十兵衛藪(じゅうべいやぶ)」と いたずらきつね」へリンク |
(山神-4) 山上八幡神社境内の「山の神」 | |||||||||
(2002年4月撮影) |
関連ページ「(桜の史跡NO.7)八幡神社と山の神跡」 |
山の神にまつわる談話(聞き取り調査:2002年4月) 山上(やまじょう)第一自治会1番組の奥山勝氏談 |
|
|
(山神-5) 斧研(よきとぎ)の「山の神」 | |||||||||
(2002年4月撮影) |
|
||||||||
斧研公会所から北を望み見て、運動場の青いフェンスを目標として細い坂道を登り、運動場を右手に見て更に少し登ります。斧研全体が見渡せる日当たりの良いところに鎮座しています。 |
|||||||||
山の神にまつわる談話(聞き取り調査:2005年11月) 桜町西区斧研(よきとぎ)の近藤善治氏談 |
|||||||||
|
(山神-6) 乾谷(いんだに)の「山の神」 | ||||||||||||||||
(2002年4月撮影) 桜の史跡「弁天様と山の神」へ |
|
|||||||||||||||
神籬(ひもろぎ)・・・清浄の地を選び常盤木などで玉垣を設けた神座。 磐境(いわさか)・・・岩石を敷き並べた祭場。神の鎮座する区域。 |
||||||||||||||||
山の神にまつわる談話(聞き取り調査:2002年4月) 桜町西区乾谷(いんだに)の加藤庄一郎氏談 |
||||||||||||||||
「山の神」の行事について 太平洋戦争が始まる頃までは、決められた量のもち米を家族の人数分だけ“組の宿”へ持ち寄り、朝早くから餅をつき、組の家族総出であんころ餅やきな粉餅などをつくって食べました。夕食には「かしわめし」を食べながら話に花を咲かせました。 現在、乾谷では山の神行事は何もしていません。 乾谷の山の神が桜村地誌に記載のないことについて (2005年12月調査) 乾谷では、古くから大谷池の北側にあった弁天様の横に「山の神」があったと言い伝えています。しかし地誌に記載されていないことを不審に思い、真実を解き明かすべく乾谷内の年配者に聞いたところ下記のことが分かりましたが、明治17年に大谷池の北に「山の神」があった確証にはならず残念です。
|
(山神-7) 南山の「山の神」 | |||||||||
南山自治会の「山の神」行事は、下記「山神−8」の茨尾の人々も一緒に参加して行われています。 |
(山神-8) 茨尾の「山の神」 | |||||||||
茨尾には、数年前までは民家が7軒あったそうですが、今では4軒に減りました。 正月になると、昔の習慣を守る人が、「山の神」にお神酒とお餅をお供えして参拝するそうです。 最近もお参りした方がいるらしく、青い瓶の榊は活き活きとしていました。(2002年4月聞き取り調査時) |
|||||||||
「山の神」から茨尾の家並を眺望 |
民家に接した西の山に祀られているこの「山の神」のロケーションは、自然にあって里人を守る「山の神」本来の姿を彷彿とさせます。 祠はいかにも人の手を感じさせ、「自然神・山の神」と「人工」のアンバランスに、一瞬戸惑いますが、やがて、「山の神」を大切に守る里人の心の温もりが、じわ〜っと伝わって、ここまで辿り着いたあなたをきっと感動させるでしょう。 (2002年4月撮影) |
||||||||
文責:永瀧 洋子 |
参考資料:『明治17年調伊勢国三重郡智積村地誌』、『明治17年調伊勢国三重郡櫻村草稿』、『山の神と村の年中行事』(桜郷土史研究会発行)、『日本民間信仰論』櫻井徳太郎著、『山の神信仰の研究』堀田吉雄著、『学芸百科事典』(旺文社)、『広辞苑』(岩波書店)。 2002年 4月掲載、 2005年12月更新:「山の神祭事」&「疱瘡の神」掲載 |