(椿岸神社は”桜の史跡”ではありませんが、 境内社の「史跡NO.13椿岸稲荷神社」に因む掲載です) |
旧 (撮影:2000年5月) |
幣拝殿竣功奉祝祭 椿岸神社外観 (撮影:2009年4月5日(日)) |
(これは、「椿岸神社」が建立した石碑の碑文です ) |
椿岸神社 | ||||||||||||||||||||||||||||
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明治17年(1884年)当時の「椿岸神社」 |
明治17(1884)年、地誌編纂当時の「椿岸神社の様相」(出典・『明治十七年調 伊勢國三重郡智積村地誌・同櫻村地誌』)
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明治の「村合併」と「神社合祀」、そして昭和の「神道指令」 | |||||||||||||||
明治時代「村の合併」・・・明治時代に二度実施されました。
桜地区では、明治40~42年(1907~1909年)にかけて、村内の全ての神社と山の神も椿岸神社に合祀されました。
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【考察】 椿岸神社の歴史 |
はるか遠い縄文時代の頃から 人々は 自然界で異彩を放つ巨木や巨石などを 神の降りる”依り代(よりしろ)”として特別視してきました。 往昔、智積川ノ北二椿尾ト名付ク小山ノ崖岸アリ 此処二祭リテ社宇モアリタル |
【 目 次 】 |
1.椿岸神社の初期鎮座地「椿尾(つばきお)」 2.神社の歴史 Ⅰ.日本の神、古代の神(自然崇拝) Ⅱ.神社の歴史 Ⅲ.何故、椿岸神社は“椿尾"に鎮座したのか? Ⅳ.何故、現在“椿尾“に”椿の樹”が生えていないのか? 3.神道について Ⅰ.神道と仏教、どちらも重んじられた時代 Ⅱ.平安時代の神道 1. 延喜式 2. 延喜式神明帳 3. 現存最古の『国宝九条家本』 4.国宝『九条家本』「延喜式神名帳」の「椿岸神社」 Ⅲ.室町時代、唯一神道(吉田神道・卜部(うらべ)神道) Ⅳ.戦国・安土桃山時代、当地方の出来事 Ⅴ.神社の社格(ランク)について 別添・・・「桜西区の地図」から歴史を読む |
1.椿岸神社の初期鎮座地「椿尾(つばきお)」 | |||||||||||||||||||||
“椿尾”の位置
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2.神社の歴史 | |||||
Ⅰ.日本の神、古代の神(自然崇拝)(主な参考文献:『神社の古代史』岡田精司著)
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3.神道について | ||||||||||||||||||||||||||
Ⅰ.神道と仏教、どちらも重んじられた時代 飛鳥時代
奈良時代
Ⅴ.神社の社格(ランク)について
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別添・・・「桜西区の地図」から歴史を読む | ||
江戸時代1773年(享保18)、字椿尾とその周辺
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(文責・永瀧 洋子) |
参考文献:『三重県神社誌』(三重県神社庁)、『式内社調査報告』(皇學館大学)、『明治十七年調伊勢國三重郡智積村地誌』、『明治十七年調伊勢國三重郡櫻村地誌草稿』、「永禄四年(1561年)椿岸神社司神主近藤忠胤謹白」、『七郷の総社椿岸神社の歴史と氏子の関係』椿岸神社社務所発行、『椿大神社二千年史』資料・椿岸神社縁起
、『四日市市史7巻、16巻』、(出典『日本史辞典』岩波書店)、『延喜式』虎男俊哉著、『神社と日本人』島田裕巳監修、 『神社の古代史』岡田精司著、『縮刷版・神道辞典』國學院大學日本文化研究所、『日本史のツボ』本郷和人著、『神社の由来がわかる小事典』三橋健著
、『天災から日本史を読み直す』磯田道史著、『絵図で読み解く天災の日本史』別冊宝島、『神社合祀に関する意見』南方熊楠著、『神社の起源と歴史』新谷尚紀、 (2021年6月更新、2022年3月5日更新) |